前回は、先にギターを始めるきっかけをお話しました…
音楽好きといっても、いきなりギターを始めようと思ったのではなく...何事にもきっかけがあります。
ここではそのきっかけの一つ、自分にとってのポピュラーソング、特に洋ポップスについて目覚めた時のことを書きたいと思います。
ポピュラーソング、歌謡曲とか子供時代の自分にとっての影響があった音楽って何なのか?と考えました。でも驚くくらい思い出がなくって、自分でも驚いています。
ただ自分が音楽に目覚める原因というか間違いないきっかけはあったのです。それは姉の存在でした。
私には4つ上の姉がいます。
よくよく考えると、この姉の音楽を私は聴いていたのだなぁ~と思うのです。
というのも私の両親は子に対して、音楽という概念、想いを話すこともなく、そういう文化が子供の時からありませんでいた。
父親が、詩吟とかそういう古典の歌を歌ってはいたのですが、そんなの小学校の子供が面白いと思うこともなく...また特にその詩吟をやってみろと言われたこともなく、親との音楽的接点はないままでした。
一方姉は、当時のはやりの曲を、例えば郷ひろみや城みちるのLP版を親戚から譲ってもらったオーディオ機器で流して...ある意味、当時の我が家の中では異色の振舞を見せるのでした。
一番印象的だったのが、にしきのあきらのコンサートに親に内緒で行って、こっぴどく怒られていたことがありました。
ファン?グルーピー?そういう人種を自分ち(家)で見ることになるとは...まあ当時の自分は、そういうこと思っていたわけではないですが、でも何で怒られるようなことするのかなぁと姉のことを不思議に思っていました。
そんな姉も学年が上がるにつれ、持っていたレコード・ライブラリーの内容も、ビートルズとかギルバート・オサリバン、ベイシティ・ローラーズなどの洋ポップ、邦楽ではチューリップやさだまさし、松山千春とかのフォークソングに変わっていきました。今考えると、それらを耳にしたことで、自然に私の中でポピュラーソングの芽が育ったのでないかと思います。
ちなみに当時の姉はエレクトーンを習っていて、その課題曲の中には、ポピュラー・ソングはもちろん、ポール・モーリアなどのイージーリスニング、クロスォーバーなどのフュージョン・ミュージックがあり、後の私のJAZZやフュージョン好きへの影響にもなるのでした。姉の生楽器演奏がそういった音楽へ私を導く存在だったわけです。
小学校から中学に進学し、子供とはいえ少しは文化面での成長?があったのか...ビートルズをはじめとする、色んな洋楽に目覚めていきました。
姉の存在も大きかったのですが、ラジオの影響も大きく、そういう中で自分の中の音楽に対する芽のようなものが育ってきた気がします。
ポピュラーソングというくくりは、あまりにも大きいのですが、小学生から中学生、そして高校性~成人に向けての音楽的な志向は、ここから始まっていったのです。
一時期、一部のマニアックな音楽に傾倒していた時、ポピュラーソングに対して嫌悪感さえ抱いていた時期がありました。そういう時期も通り過ぎて今、自分の中のポップ性に、当時の影響が色濃くあるのだなと実感します。
そこら辺の詳細は、おいおい書いていきますね~。
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